Photo by Akemi Katsuno (Love the Life)
06. 残しながら何かをつくる

野井:3年くらい前にも大きめの展覧会をやったんです(*48)。場所はリーガロイヤルホテルの北の川沿いを利用した「中之島バンクス」という施設でした。

河上:その時の写真がこれですね(下の写真2枚)。


Photo by Seiryo Yamada

野井:この絵は展覧会の時に壁に即興で描いたもので、天井から吊られてるのは竹です。あれ、竹暖簾って名前つけたんですけど、歩くと竹が身体に当たるでしょ。竹が揺れますよね。揺れたら隣の竹に当たる。そこで乾いた音が鳴るんです。
これは木を現場でばーっと組んでいったインスタレーションの様子です。直径18cm、厚み3mmの鉄板に9mmくらいの穴を4ヶ所あけて、丸鋼のシャフトを通して、ボルトナットで締め上げて木を組んでます。

橋本:ちなみにこの木組み、河上君と僕もお手伝いさせてもらいました。

河上:鰺坂さんも骨折した手を吊りながら作業してはりましたよね。そういう野井さんを慕う人たちが大阪にはいっぱい居るんです。

橋本:この時は両端からやっていったんですよね。河上君はこっち、みたいな。二人とも野井さんのデザインを意識しながらやっていたんですが、全然プロポーションが違って来るんですね。僕は低ーい感じ、河上君は高ーい感じでやってたら、途中でなんかおかしくなってきて、真ん中で辻褄を合わせたんです。

河上:面白かったですね。同じ施設の別棟があって、そこに作ったのが期間限定の「バー・ノイ」です(下の写真2枚)。


Photo by Seiryo Yamada

野井:毎日バーテンダーを変えたり、その場で交代したり、本職の人がわざわざピシーッと蝶ネクタイしてやったりね。

橋本:僕もバーテンをやりました。

野井:橋本さんが蝶ネクタイしたらカッコいいんです。そういういろんなパフォーマンスが面白かったですね。それで喜んでたら川向こうのマンションから苦情が来て。
(会場笑)

河上:静かにせえと。


Photo by Kanemitsu Ajisaka (SKKY)

野井:ここは横引きのガラス戸が全部仕舞えるようになってて、完全にオープンになるんです。こういうとこで落語会とか漫才とかやると面白いと思うんですけど。
川向こうは堂島ですが、あの辺りはずいぶん変わりましたね。昔「竹葉亭」っていう鰻屋さんがあったんです。立派な和風建築で。ああいうのは保存するべきやったと思うんですけどね。大阪の立派なものが、どんどん消えていってるでしょ。それが寂しいですね。もっと南の道修町とかも雰囲気がガラーッと変わってきてる。どうして行政が守って保存しないのかなあと、そんな気がします。

河上:橋本さんのところも明治時代の木造校舎を使ったアトリエやったんですが、残念ながら取り壊しが決まったんですね(下の写真2枚/クロージングイベントの様子/2014年3月2日)。


Photo by Akemi Katsuno (Love the Life)

橋本:昨日全部荷物を出した状態です。茨木小学校の校舎の一部を移築した倉庫があって、それを改装してアトリエを作っていました。その中でいろんなイベントをやりながら、何とか残せるように続けてたんですが、いろんな権利の問題でね。悲しいことに普通のマンションになってしまうようです。
大阪も含め、日本てなんでこうなんかなあ、とよく考えます。父親がずっと工務店をやってたんですが、昭和40年代頃に建て替えの仕事がどんどん増えて、意識が変わっちゃったんですよね。彼は絵が好きで文化的な感覚もあったけど、どっかで麻痺してきて、建築って潰して建てるもんや、って考えるようになったんです。みんながそうだったんでしょうね。
野井さんが仰られたように、残しながら何かを作っていく、そういう意識が無いのはすごく寂しいことです。別に新しいもんが悪いんじゃないんですけど、その中に哲学が無いな、と感じることが多いですね。商業空間のデザイナーも意識が変わってきたな、と思います。みんなそれぞれ器用で、さらーっとしたのを作るのが上手な人はいっぱい居て、均一でカッコいい店はたくさんあるんですけどね。僕らは土っぽいデザインからも影響を受けたし、モダンなものにも影響を受けた。そこから醸し出されるものが僕らの個性やと思うんです。それを伝えていかないといけない、と感じています。だから野井さんと会うとほっとする。ちょっと外れた感覚でも、これで良かったんかな、と。
いまの新しいアトリエには前のアトリエの部材を使っています。ビフォアアフターみたいな感覚ではないんですよ。壊されていくものへの思いと、そこにあった空気を残していくのも大事なことだと思います。残す建築がはじまる、って僕はよく言うんですが。