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野井:僕は1944年生まれで今年の11月に70歳になるんですけれども、いまだに遊ぶことが好きで、映画に行ったり、テレビを見たり、おかきをかじったり、飴をなめたりしています。そんな気持ちで今回「あそびごころ」という本を作らせてもらったんで、見ていただけると嬉しいです。 橋本:僕はここから歩いて10分くらいのところで建築事務所をやっています。野井さんのデザインされた店には二十歳くらいの頃からたくさん行かせていただいています。デザインを志した当時に、野井さん世代の方たちからはデザインとか建築だけじゃなく、映画とか、お茶とか、様々なことを教えていただいて、影響を受けて、その凝縮されたものが僕のデザインのテイストとして滲み出ているような気がします。野井さんご本人とこんなに気安く喋れるようになったのはここ数年で、それまでは恐くて近寄り難い感じの方でした。 河上君とは10年以上のつきあいになるんですが、事務所をはじめた20年くらい前には周りに誰も居なくて、彼がこういう場を作ってから茨木にも徐々にデザイン関連の輪がひろがってきたのはいいことだな、と思っています。 河上:僕はインテリアデザインの仕事をやっていて、ここを始めた10年ほど前に橋本さんと知り合いました。それからはイベントをご一緒する機会もあったりと、とても仲良くしていただいています。 2005年に茨木で開催された「茨木美術“環”」というイベントで、橋本さんや僕が実行委員に入って、街なかでいろんなアートの展示やイベントをやったんですね。阪急茨木市駅の方の商店街に空き店舗があって、そこにカフェを作ることになったんですが、その時に橋本さんが、野井さん呼ぼう、って言わはって、野井さんにデザインをお願いしたんです。その設営のお手伝いをさせていただいたのが、僕が野井さんと出会ったきっかけでした。 カフェの写真がこれです。もとは洋品店があった場所に、こんな風に木材を組んで3日間限定のカフェを作りました。組み立てにも3日くらいかかりましたね。客席はカウンター形式になっていて、みんなでお茶を飲んだりビールを呑んだりしました。カフェの名前は「内と外」といいます(下の写真左)。 別の商店街にもうひとつの特設カフェを作ったんですが、そちらは橋本さんがデザインされました。これがその写真です。「カフェ・キリシタン」という名前のカフェでした(下の写真右)。茨木は隠れキリシタンの町として有名なんです。ここも空き店舗を利用して、赤い柱で空間を構成されてました。橋本さんがザビエルに扮して、店主をやってはりましたね。 (会場笑) 野井:成り切ってはりますな。 橋本:踏み絵もありましたね。 河上:いろんな方面から意見があったり怒られたりしました。 野井:この後、商店街はちょっとでも活性化しましたか。 河上:当時は商店街自体が盛り上がっていて、茨木市の行政の方も協力的で、この後も何年かはいい雰囲気が続いてたんですが、今はちょっと大人しい感じになってます。でも、このイベントに関わっていた町の人たちが、また個別にいろんなことをやり始めています。野井さんと橋本さんに毎年イスの作品を出品していただいてる「茨木音楽祭」(2009年から毎年5月5日こどもの日に開催)もこの後に生まれたイベントですね。茨木のカルチャーの立役者が集まる元になったのがこの「茨木美術“環”」だったんだろうな、と思います。野井さんはカフェ「内と外」、どう思われましたか。 野井:良かったんちゃうかな。3日で潰すのはもったいなかったですね。 河上:この時、野井さんはBMWのバイクで茨木へ来てはりました。木材はほとんど橋本さんのところにあったものを使いましたね。 野井:そうそう。ようけあったんですよ。あれがあったから出来たんですよね。 橋本:住宅とかの現場があると、こういう寸三(35mm角)とかの木材がちょっとずつ余るんですよね。それを全部倉庫に寝かせてたんです。 |
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